16歳みちしるばー『はいど』のプロフィール

はじめまして。

このブログ「みちしるべ」を運営している、はいどと言います。

本名は「うど まつり」。

はいど
はいど
珍しすぎて漢字が文字化けします 

普通なら高校で勉強をしつつ青春してる、16歳という年齢なんですが、ちょっと特殊な生き方をしておりまして。

実は、うつ病で高校を休学してるんです。

他にもちょっと変わったところがあります。

  • HSP
  • 元不登校
  • LGBTQ+のGとT(FtM)

分かりにくい言葉もいちどに出したので、説明がてらぼくの歩んできた道のりについて紹介させてください。

はいどとHSP

ぼくはHSPです。

HSPとは、「Height Sensitive Person」の略。

つまり「すごく繊細な人」ってこと。

強い音や光に弱かったり、些細な音や変化が気になったりします。

他にも、人の感情が入ってきて、「怒ってる人を見るとこっちもイライラする」の数倍の威力で人の感情がうつってきたり、などなど。

はいど
はいど
境界線がないって言われたりもします 

いろいろ辛いこともあるんですが、実はHSPは医学的に認められていません

だから、つらいことがあっても、どこにも助けを求められないのが現状です。

ぼくは幼い頃から繊細で、特に大きな音と、大人に怒られることが苦手でした。

HSPという言葉を知ったのは中3のとき。

だけど先生に「大きい音が苦手、教室にいるのがツラいです」と言っても、

診断書ないんだよね?」と返され、まともに取り合ってもらえず。

はいど
はいど
せつねぇ

だけどぼくはこの気質を恨んでません。

だってまぎれもないぼくの一部だから。

大好きな音楽に強く感動できて、素敵な出会いに感謝できる

そんな素晴らしい感性を作ってくれたのは、間違いなくHSPです。

はいどと学校

ぼくは中学3年から不登校で、高校休学生。

その理由をたどるには、ぼくの義務教育+高1について話さなきゃいけません。

はいど
はいど
さーて、長くなりますよ 

小学生

就学前から算数ドリルを渡されていたので、結構できる子でした。

そしてテストで点が取れれば、親や先生に褒められる。

それが単純に嬉しかったんです。勉強のモチベーションは純粋にそれだけ。

担任の先生にはなぜか、「この子はリーダーシップがある」って言われて、よく意味はわからなかったけど鼻高々でしたね笑。

褒めてほしかったので、テストで点数を取り続けました。

担任の先生の期待に応えるため、率先して学級委員も班長もやってましたね。

はいど
はいど
真面目な性格が作られていきます  
 

そんなぼくの転機は小学5年生。

初めての学級崩壊です。

小4の頃からだんだん「なんかおかしい」と思ってたんですが、

先生に対する生徒の不満が本格的に吹き出したのが小5頃からでした。

攻撃のターゲットは担任の先生。

ぼくは「正しくないことはやるな、授業はちゃんと受けろ」と言って毎日バトってました。

いや、必死で。

怖いとかはなかったです。どんなに暴言を吐かれても耐えました。

だってぼくは、「リーダーシップがある子」だったから。

自分がやらなきゃいけないって、そう思っていたんです。

1年間ずっとケンカしているようなものでしたね。

はいど
はいど
授業は年間を通してめちゃくちゃでした 

そして次の年、小6も波乱の年でした。

クラス替えでほっとしたのもつかの間、なんともとんでもない担任に当たってしまいました

  • すぐ大声を出す

  • 言ってることに一貫性がない

  • 暗黙のルールが多い

  • 気に食わなかったら、4時間連続のお説教

  • それで授業が遅れたら児童のせい

  • 「失敗した」子は公開処刑

  • 「発言しなさい」と言われて誰も答えられないときの、ピリピリした沈黙

いや、めちゃ苦手なタイプ。

というか人としてどうなんだよ

でもぼくは、無邪気にも、大人は全員信じるべきだと思ってたんです。

大人は、子どもを育てる存在だと思っていたから。

育てるのが下手な人がいるなんて、知りませんでしたからね。

そして1年間信じ、裏切られ続けて、ぼくは大人が嫌いになりました

はいど
はいど
周りの子が怒られてるとHSPレーダーに引っかかってつらかったし、自分が怒られたときは恐怖で号泣した 

中学生

はいど
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小学校より厳しいんだって(ガクブル) 

と恐怖しながら始まった中学校生活。

前年度の洗脳がよく効いてます笑

が、なんと中1では担任の先生との相性もよく、クラスは学級崩壊してたけど幸せでした(意味不明)。

というか、学級崩壊していることに気づかないくらいの異常な神経になってました。

そしてこの年は、かなり特別な年になったと自分でも思ってます。

中学校から始まるビッグイベント、生徒会選挙に立候補したんです。

だって、「リーダーシップがある子」だからね。

で、対立候補がおらず見事に風紀委員長になりました

ずっといい子いい子でやってきて、また周りから褒められるキャリアを積み上げた瞬間。

幸せに満ちてました。

でも、ちょうどそのころ、テストで点数をとっても親が褒めてくれなくなったんです。

いい点数を、見慣れちゃったんでしょうね。

その裏にある、血のにじむような努力を、親が知るよしもありませんから。

それでも、承認欲求で勉強していたぼくは思ったんです。

はいど
はいど
勉強する意味って、なに? 

その時期、偶然にも冬の定期テストが英検と重なりました。

ずっと勉強漬けになって、何かが苦しくて、うつみたいになって。

頭にものが入ってきませんでした。

思えばあのとき、ぼくはすでにうつ病を発症していたのかもしれません。

なにもできなくて、部屋は散らかるばかりで、勉強は手につかないで、それでも頑張ってました。狂気的なほどに。

生まれて初めて、死にたい、と思いましたね。

はいど
はいど
認められるための勉強に、限界が来てました  

いったん持ち直すものの、中2の冬にもまたうつが発生。

冬が嫌いになりました。いまは好きですけど。

2回目だったのでもう死にたいを通り越して、具体的に自殺を考えました。

はいど
はいど
でも、「どんなやりかたでも、自殺は人に迷惑をかける」と思ってできなかった  

次、笑いますよ(予言)

中3、また学級崩壊しました

はいど
はいど
いや、笑えんかったけどな 

もう、ぼくに戦う気力は残っていませんでした

文字通り、何もできない。

バトることもほぼなかった上に、最悪の環境でもひとりで頑張る、というスキルを完全に失いました。

そして中3で抱える問題と言えば…そう、進路です。

ぼくはどうも大人に対する見かたの発達が遅かったらしく、15歳にして「親は全能の神様」だと思っていました

それが進路選択に悪影響を及ぼします。

ぼくは堀江貴文さんの本をけっこう読んでいたので、

はいど
はいど
これからの時代、ガリ勉のままいたらダメだ 

と危機感を抱き始め、時間を割と自由に使える通信制高校に行くつもりでした。

だけど、母に反対されてしまいまして。

母に反対されたくらいで諦めたのは、ぼくが甘かったんでしょう。

プレゼン能力もなく、意思も弱く、自分が進みたい道に確信も持ててなかった。

しょせんは親を言い訳にして、決断を逃れただけかもしれません。

だけどぼくは、大切な進路すら決められないくらいに意思決定をやってきてませんでした。

勉強以外のことは、それまで眼中になかった。

そしてぼくは、母にすすめられた進学校に合格するため、必死で学校に通ってました

不登校なんてありえない、と母が言うから、学校に行く。

「自分軸 見つけ方」ってググってたくらいです。

そして最後の成績が出た2月、「もう成績出たじゃん! 文句ないだろ!」と脳と心がクラッシュして学校に行けなくなりました。

はいど
はいど
ただの数字が書かれた紙切れのはずなのに、成績表に最後まで縛られてましたねー…

成績はバッチリ取れたので、内申点は十分。

家にいるからと言って受験校が変わるわけではありません。

ベッドから起き上がれなくて、気持ちが沈んでても、ガリガリ勉強しました。

駆り立てられるように。

勉強している自分の存在が、精神安定剤だったんです。

明らかに、うつ病でした。症状は今よりひどい。

が、入試前日になぜか体調が回復して、奇跡的に練習してた問題が試験に出て、なんと進学校に合格しちゃいました

不登校になりきれなかった自分を、今でも責めてます。

「親に反対されなければ…」なんて思っちゃいます。

同時に、「もっと親に心配してほしかった」という気持ちも色濃く残っています。

学校がめちゃくちゃで、完全におかしくなっていたぼくを、助けてはくれませんでした。

もちろん、両親ともに忙しかった。頭では分かってるんです。

だけどこころが理解してくれない。

親との関係は、未だに解決できてない課題であり、心の傷です

はいど
はいど
そして初めての不登校を経験して、完全に体が学校を受け付けなくなりました 

高校生

進学校だけど、必死に食らいつけばついていけないほどじゃありませんでした。

深く繋がれる友達が2人もできて、幸せそのもの。

尊敬する先生にも出会えました。

だけど、こころも体ももう限界だった。

4月終わりにぼくは、「学校に行きたくない、退学する」と言い始め、

5月はじめ、心療内科に連れていかれました。

心療内科でちゃんとした診察を受けたとき、実はめちゃめちゃホッとしたんです。

ずっと、病気扱いしてほしかったから。

この苦しみを認めて、名前をつけて、みんなに優しくしてほしかった。

優等生の成れの果てです。

初めての来院では病名がつかなかったけど、精神安定剤が出て、

ようやく周囲はぼくが相当に無理をしていたことを知ってくれました

そんな6月。

それでも登校させられ続けていたある日、ふいに教室に上がれなくなりました

教室が、たまらなく怖くって。

また不登校に戻ってるんだ、どうせ変われないんだ、絶望的にそう思いました。

教室に行けないから、保健室に行って。

そこで信頼する保健室の先生に、不意に、通信制高校を勧められました。

本当は受験したくて、ずっと行きたかった、通信。

ぼくは通信に転校することを即決しました。

だけど帰り道、気持ちは変わっていて。

帰って母にこう切り出しました。

はいど
はいど
休学しようと思う  

転校したって、こころも体もボロボロの状態じゃ何もできない。

かといって、通い続けることはできない。

退学しても、働ける気力も勤め先もない。

いろんな選択の中で、ぼくは「休学」を選びました。

教室に上がれなくなかった日からわずか2週間。

僕は担任の先生と話をして、なんとか休学を決めました。

スピード休学ですね。

先生には「まだ欠席数も少ないし、大丈夫じゃない?」と言われました。

そのときずっと溜まってたものが溢れて、泣いてしまって。

休めるもんなら、もう休んでるんですよ」って言いました。

はいど
はいど
ずっと、中学生の頃から言いたかったこと

もう、ずっと休ませてほしかった。

だけどみんなの、周りの、大人の、先生の、親の期待に応えるために、必死でやってたんです。

ぼくが自分で大きな決断をしたのは、このときが初めてでした

そこからは、休学して寝て過ごす日々。

ある日ふと気づきました。

勉強は別にやってもいいな。高認取ったっていいよな、って。

だけど学校は…もう、学校という言葉を聞くだけで怖い。恐ろしい

本当は、学校というシステムが、こころの底では小さい頃からずっと嫌いだったんです。

どうしてみんな同じ時間に集まって、同じ時間に解散するの?

毎日まいにち同じ場所で、つまらないことを面白くない顔してやってるの?

自分の興味より、学校が最優先なの?

就職以外にも生きる道があるはずなのに、なんで教えてくれないの?

そんな思いをずっと抱えてました。

ぼくがこんな義務教育を受けて、学校についていま言えることはひとつだけ。

ぼくは、学校という場所自体が怖いです。

休学ということにはなっていますが、復学できる自信がありません。

通信にも行けないかもしれません。

はいど
はいど
学校は完全にトラウマ。どうなるか分からないね

はいどとセクシャリティ

ぼくはFtMゲイです。

FtMは、トランスジェンダーを表す言葉のひとつ。

女性の体で生まれ、男性のこころを持っている人のことを言います。

ゲイは、男性を好きになる男性のこと。

ぼくはこの両方なんです

思い返せば小さい頃から、「ボーイッシュ」な子でした。

よく「男の子っぽい」喋り方をしては怒られてました。

怒られるときは「なんで?男の子はいいのに、女の子だからダメなの?」と思ってました。

ひょっとしたらぼくには、フェミニストの素質もあるかもしれません笑

ぼくはずっと自分の居場所を心の中に持っていました。

ちょっとややこしいけど、常にアニメや童話を題材に頭の中でストーリーを組み立てて、

「自分の本当の居場所はこっちなんだ」と思ってたんです。

小学校4年生くらい、男女の境がわかると、自分が女であることが嫌になってきて、

空想の中の自分が男の子になりました。

だけど、小学校6年生のとき。

初潮がきました。

あ、私、女の子なんだ…」と思って。

「自分が男である」というわずかな可能性を捨ててしまったような気分でした。

もしかしたら、生まれたときにお医者さんが、性別のラベリングを間違えたのかもしれないと思っていたのに。

そこでぼくは一度、自分の性別を「受け入れた」。諦めたんです。

それでも空想の中では男の子でした

順番は前後しますが、小5の時に初恋をしました。

相手は男性だったので、それもあって自分が男だなんて思いもしませんでしたね。

男の子っぽいのは、ただの性格だと思っていた、いや、思い込もうとしてました。

そして中学校に上がり、友達経由で「BL」を知ります。

それで、なんというか、救われたというか。

男の子同士、恋したっていいんじゃないかって

はいど
はいど
そのときはそれ以上考えなかったけどね 

また時は経って、中学校3年生。

ノンバイナリージェンダー」という言葉を知ります。

男でも、女でもない性別のことです。

もしかして、自分はこれに該当するんじゃないかと思ったら、少し気分が明るくなりました。

だけど、「女→男のトランスジェンダーで、男を好きになる人もいる」と知ったときは、もっと嬉しかったです。

自分の中の「女」、自分の体を、否定してもいいんだ。

体は女でも、男として、男が好きでもいいんだって、初めて思った。

ぼくは自分が女であることがどうしても気持ち悪いです。

「女性」「女子」という言葉にすら、拒否反応を示すほど。

だからちゃんと手術をして、体を男性に近づけて、戸籍を変えて。

その上で男性のパートナーを見つけて。

そうやって、小さい頃から抱えてきた「性別」にまつわる心の傷を解いてやりたいんです。

はいど
はいど
男として、男性に愛されたいんです  

https://michishiruve.com/came-out

「みちしるばー」の意味

ぼくが名乗っている「みちしるばー」とは、「みちしるべ」という言葉をもじったもの。

自分のひどい経験を糧に、だれかに「こっちは危ないよ」「こんな道もあるよ」と伝えよう、と思った日から、ぼくは「みちしるばー」を名乗っています。

ぼくは、いままで手に入らなかったものを追い求めて生きてます。

居場所、愛、あたたかさ、安全、休息…

そして、そんなものをみんなと分かち合いたいと思ってます。

変な話だけど、「自分がしてもらえなかったことを相手にする」感じなんです。

居場所がなかったから、居場所を作りたい。

愛されたかったから、同じように愛を感じられない人を愛したい。

こころが冷え切っていたから、誰かの心があたたまるようにな文章を書きたい。

安全がなくて怖かったから、いま困ってる人の話をどんどん聴きたい。

休み方を忘れるほどはたらいていたから、そんな人が立ち止まれるポイントをつくりたい。

まずはインターネットに、「みちしるべ」という居場所を作りたい

一人で泣いてるあなたの居場所になりたい

そういう思いでブログを運営しています。

このブログを見つけてくれたあなたの「みちしるべ」になれますように。

はいど
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