学校の悩み

#不登校は不幸じゃない 広島に参加しました!

はいど
はいど
どうも、みちしるばーのはいど(@michishiruver)です

不登校は不幸じゃない」というイベントを知ってますか?

「#不登校は不幸じゃない」とは?

  • 不登校について悩んでいる当事者の子、そしてその家族が集まれる、小さな居場所・継続したコミュニティを作ることを目的とした座談会

中学校3年生で不登校になり、いまも高校に行けてないぼく。

以前から気になっていた「#不登校は不幸じゃない」に、今年はじめて参加してきました。

この記事では、「#不登校は不幸じゃない」広島会場で、不登校についてそれぞれの参加者が考えたこと、そしてぼくが思ったことを、少しだけ紹介します。

当事者から見た「不登校」

当事者として参加している人は、思ったより少なかったです。

ぼくを入れて4人くらい。

だけどその中で、かなり濃い会話をしてきました。

ひとりは、通信制高校を卒業したばかりという20歳の方。

ひとりは、ぼくと同じ高校生の方。

そしてもうひとりは、「辛いときに、不登校という選択肢がなかった」という、20代社会人の方。

「学校を休みたいけど休めない」という人も日本中たくさんいると思うので、この4人の方を当事者としてカウントさせてください。

不登校になったきっかけ

きっかけは人によって様々。来てなかった子の分も集めると、

  • いじめ
  • 学校の理不尽な指導
  • 人間関係
  • 学校のシステムに対する疑問

不登校=いじめ」ではなく、本当に人によって背景が違うんです。

ぼく自身いじめられた経験はほとんどないし、むしろ学校への不信感や、学級崩壊が不登校のきっかけになっています。

不登校にまつわる問題

話しているうちに出た問題点を整理します。

  1. 画一的な教育、選べない環境
  2. 「学校に行かなくてもいい」と知らない
  3. 不登校になった後の、金銭的・精神的なハードル

1つ目は教育の問題

公立の学校に通うと、どうしても「みんな同じ」の教育を受けがちです。

それはやっぱりコスパがいいから。

教育を受ける側からしても、「学費が安いから公立」という考え方は一般的なものです。

だけどその画一的な教育に苦しんでいる人は多い、というのが、一致した意見として出ました。

好きなことや得意なことよりも、受験のための勉強が優先される。

そしてその過程で、自分が好きなモノやコトを忘れていってしまう

そんな状況を危惧しているのは、ぼくだけじゃなかったんですね。

「苦手なことに適応するのが大人になることだと思っていたけど、社会に出てみてよく分からなくなった」という方もいました。

これからの時代は、同じ能力を持った同じ人材が集まるのではなく、個性的な人がそれぞれ関わり合って仕事をする時代に必ずなります。

今の教育を問い直さなくてはいけない

その証拠となっているのが、増加し続ける不登校の児童・生徒たちなのかもしれません。

2つ目は情報の問題

「学校を休んでもいいんだ」と思うまでのハードルがめちゃくちゃ高いんです。

それは、学校を休むことがいけないことだという、周りの意見を知っているから。

そして、学校を休んでもいいということを、知らないから。

「学校に行かなくちゃいけない」と無理やり自分を駆り立てて、頑張って、燃え尽きてしまう人。

たとえ休めたとしても、「どうして自分は学校に行けないんだろう」と、自信を失ってしまう人。

その根本的な原因は、「実は学校って休んでいいんだよ」ということを知らないからです。

どうすれば学校に合わない子たちにこの事実を共有できるのか。

また学校から離れて、どこでどうやって学んでいくのか。

この2つも大きな課題です。

3つ目は、不登校になった後の問題

不登校になった後、十分に充電してから、自分の進む道を探さないといけません。

そこに立ちはだかるのが2つの問題。

ひとつは「自分は学校を休んでるから、好きなことなんてやっちゃダメだ」という思い。精神的なハードルです。

そしてもうひとつは、家庭のお金の問題。経済的なハードルです。

不登校になったという精神的ダメージや、親に迷惑をかけているという苦しい思い。

そして家にいるだけでお金がかかったり、買ってもらった制服をほとんど着てなかったりなど、お金を余分に使っているという罪悪感。

不登校になったあとに教室復帰するのも自由ですが、通信制高校に行きたいという子も多いです。

そのときに私立だとかなりお金がかかってしまうんですよね。

そこに「自分なんかがわがまま言っていいわけがない」という思いが加わってしまうと、不登校の子は家でも自分の気持ちを押し殺すことになります。

好きなことをやるのにかなりお金がかかってしまう、そのことも負担になってるんですよね。

  1. 画一的な教育、選べない環境
  1. 「学校に行かなくてもいい」と知らない
  2. 不登校になった後の、金銭的・精神的なハードル

もちろんこれ以外にもあるのですが、当事者同士で主にこの3つを話し合いました。

やっぱり、不登校になったあとの受け皿をいかに準備するのかが難しいところ。

今の日本には居場所が足りてないんです。

当事者ということで、単に「不登校=引きこもり」と決めつけるような会話ではなく、かなり深い話をさせていただきました。

はいど
はいど
当事者の方と話したのは初めてで、学びが多かったです

親から見た「不登校」

逆に当事者から見て謎なのが、親が考えていること

今回の「#不登校は不幸じゃない」には、保護者の方が15人ほど参加されていました。

その声もバッチリ聞いてきましたよ。

  1. 自分たちの世代は、学校に行くのが当たり前だった
  2. 子どもの気持ちを掘り返そうとしてしまう
  3. 情報がない分、芽が出るのが遅かったのが自分たち

1つ目は、価値観の違いについて

親世代としては、「学校に行くのが当たり前」という考え方がなかなか抜けなかったそうです。

これはぼくの母も、「学校以外の選択肢はなかった」と言っていました。

学校に行くのが当たり前なのに、どうしてこの子は行けないんだろう、という苦しさは、不登校の子を持つ親御さんのほとんどが経験しているみたいです。

だんだん「この子の居場所は学校以外にある」と保護者の方が思ってくれることで、初めて不登校が肯定されるんですよね。

2つ目は、子どもとの関わり方について

「どうして学校に行けないのか」「なにかやってあげられることはないか」という思いで、どうしても子どもを問い詰めてしまう方が多いそうです。

もちろんこれは親の愛なんですが、子どもにとってはプレッシャーだったり、不安の材料だったりします。

子どもも「親とどう接していいのか分からない」という思いがあるので、お互いに同じことを考えてるんですけどね。

ぼくは不登校になってから、母の笑顔が消えてしまったのがとても悲しかったです。

隣で別の花を咲かせていれば、いつか芽を出してくれる」と言ってる親御さんがいましたが、まさにその通り。

親は親、子どもは子どもとして、問題をごちゃまぜにしてしまわないことが大切ですね。

3つ目は、時代の違いについて

親世代にとって、学校に行くのは当たり前だった、という話が出ました。

その話が発展して、「情報がない分、芽が出るのが遅かったのが自分たちだったんだろうね」と言っている方がいました。

いまはSNSで簡単に知らない世界の情報に触れられるし、テレビや新聞でも普通に不登校が報道される。

少し前の世代は、そうじゃなかった。

だから親世代にはなかった「なんで学校に行くんだろう」という問いを、現代の子どもたちが発しているんです。

もし不登校という選択肢が合ったなら、人生はまた変わったものになっていたのかもしれませんね。

考えさせられる言葉でした。

はいど
はいど
親御さんたちが考えていることは、新鮮なことばかりでした…!

座談会に参加して、ぼくが考えたこと

大まかに分けて3つ考えました。

  1. 学校になじむことで、将来不利になるかもしれない
  2. 「不登校になりたくてもなれない」という人もかなり苦しい
  3. 一番苦しい親子は、イベントに来られない

1つ目は、学校に対する疑問

画一的な教育に対する批判がかなり出ました。その中でぼくが思ったのは、「学校で頑張る子が不利になっちゃいけないのに」ということです。

学校になじむということは、ルールを守って、学校という場で頑張るということ。

それ自体はまったく、批判されるようなことではありません。

だけど学校でただただ勉強を強いられる中、好きなことが分からなくなってしまった子をぼくは大勢目のあたりにしてきました。

もし、学校に行くことで個性が折られて、これからの個の時代で迷ってしまうなら、それは学校の責任だと思うんです。

学校に通うことで方向性を失ってしまうなんて悲しすぎる。賛否両論あるでしょうが、ぼくはそう思いました。

2つ目は、「不登校」のうらに隠れた問題

ぼくが不登校になったのは、中学3年生の2月。卒業間近でかなり遅かったんです。

それは、不登校になりたくても、周りの反対でなれなかったから。

不登校の子が羨ましくって、恨んだり憎んだりしたこともあります。

そんな「不登校になれない」という子が、いま苦しい思いをしています。

夏休み明けに自殺してしまうような子は、学校に行かなきゃいけないことに絶望している子です。

「不登校になりたくてもなれない」というのは、かなり深刻な問題。

3つ目は、イベントに対して感じた課題点

「#不登校は不幸じゃない」のイベントに来られるのは、不登校を受け入れた人だけなんです。

通信制高校を卒業して、やりたいことに進み始めている方。

不登校だった子どもを、少しずつ認めてあげようとしている方。

ぼくのような、自分の不登校経験を誰かの役に立てたいと思ってる当事者は、すでに自分と向き合えているのかもしれません。

一番苦しい、「どうしたらいいのか分からない」という状態の親子は、

イベントに来てしゃべる、ということがもう難しいんですよね。

支援を欲している人に、どうやって情報とケアを届けるのか

今後の課題はそこになると思います。

はいど
はいど
支援が行き届かないのが歯がゆかった 

まとめ:「#不登校は不幸じゃない」広島に参加して

ぼくは今回、誰かに不登校経験を伝えることよりも、自分が救われたいという思い出で参加しました。

トラウマのように固まって、思い出せば涙が出てしまうような、あの辛い学校の記憶を昇華したかったんです。

だけど実際に参加して、少し考えが変わりました。

親御さんに子ども目線からの不登校を伝えたり、主催者の方とこれからの時代について話したりして、「自分の進む道は、やはり人を助ける道だ」と思ったんです。

声に出したり、文字にしたりすることすら困難な思いを抱えている人がいる。

自分の思いをこうして言語化できるようになってきたぼくは、これからやはり支援する側に回りたいと思ったんです。

いまでも不登校は過去形ではなく、休学が終わって今の高校に通い続けられるのかも分かりません。

はいど
はいど
だけどこんなぼくでも、苦しんでいる人のためにまだまだ何かできる、そう強く思った 

そして、不登校当事者とその家族の方が、困ったときに助け合える相手を見つけておくということは、すごく大切なことです。

ぼくも「#不登校は不幸じゃない」に参加した方と関わって、少しだけ継続的な関係ができました。

これからも関わっていきたいと思える方と出会えるのは、とても素敵なことです。

参加しなければ出会えなかった人知ることのできなかった声、そんなたくさんのものに触れられたことが、今回の座談会の大きな意義でした。

座談会に参加する機会をつくってくださった、発起人の小幡和輝さん、広島の主催者・スタッフの方、そして参加者の方、ありがとうございます!

はいど
はいど
「#不登校は不幸じゃない」の活動は、まだまだ続いていきますよ

ぼくと同じく参加者の方で、ブログをやられている方がいます。

この記事とは違った目線からイベントレポートを書かれているので、ぜひぜひ読んでくださいな!

  1. ♯不登校は不幸じゃない広島会場の感想(前編)
  2. ♯不登校は不幸じゃない広島会場の感想(後編)

居場所を探してるあなたへ。

 

このブログをゆっくり読んで、

あなたの居場所にしてください。

そして、不安で眠れなくなったり、

苦しさで叫びたくなったりしたときは、

ぼくがあなたのみちしるべになります。

 

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